大阪吹田-江坂駅の鍼灸院/腰痛・ぎっくり腰・坐骨神経痛・肩こり・頭痛・五十肩・胃下垂・難聴・耳鳴り

理念 

気胸を起こさない安全な施術 

鍼の写真
 刺鍼事故を起こさないこと。鍼施術は、治癒させることが目的ですが、過去の歴史においては盛衰の激しい施術法でした。中国では、だいたい3百年周期で盛んになったり衰えたりします。
 
なぜ盛衰が激しかったか?
 
それは鍼施術の効果が優れているため盛んになるのですが、鍼施術が盛んになれば解剖を知らない素人が鍼施術をするようになり、その結果として事故が増えて、死人まで出る始末。そのため人々が鍼施術を恐れ、下火になって行きました。その点で灸は、人気を保ちつつづけたようです。
 
 日本では江戸時代以降、鍼が下火になることはなかったのです。しかし民間療法ではありませんでした。というのは鉄が貴重だったからです。 鉄の本体字は鐵ですが、王の文字が入っています。これは鐵を制する者が王になれるということから、王の文字が入っているのです。ですから鉄は貴重品でした。 日本では、家を建てるにも釘を使わない、病気の治療にもモグサを作って焼くという、鉄を使わない生活をしました。鉄といえば鍋や釜ぐらいしかなく、非常に貴重な物だったのです。だから火事になると、昔の庶民は焼け跡に釘を拾うために出掛けたものです。
 
中国では、鉄を焼いて折り曲げ、刀を作るようにして鍼を作り、細く研ぎました。日本の江戸時代には、鍼管が杉山和一によって発明されたために、中国より遥かに細い鍼を使うようになりました。
 
中国や江戸時代以前の日本では、鍼を手で直接打ち込んでいました。その際に、鍼が細ければ曲がってしまいます。中国では鍼を太くして、 日本では鍼管を使って打ち込むようになりました。鍼管を使うと、鍼体が鍼管の内壁に支えられて、鍼が曲がらないので細い鍼でも打ち込めるようになります。細い鍼ならば、人体の硬い部分に当たると判ります。太い鍼は痛いので、勢いで入れるため、硬い物に当たっても判りません。
 
損傷してはいけない重要な臓器は、硬い膜に守られているため、細い鍼ならば、硬い膜に当たったことが手応えで分かります。それで日本は事故が少なく、鍼が衰退することがなかったのではないかと思います。
 
 余談になりますが、中国で鍼が盛んになったのは、現代中国になってからです。清国から民国までは、衰退の一途を辿って行きました。そして中華人民共和国になり、鍼が盛んになると、文化大革命の影響で、刺鍼事故が非常に増えていったのです。
 
なぜ刺鍼事故が増えたかというと、毛沢東が焚書(自分の思想と違うことを書いている書物を焼く)をしたからです。世界で 焚書をしたのは、秦の始皇帝、ドイツのヒトラー、毛沢東ですが、  彼らが焚書をした理由は、非常に権力を持っていたからです。自分が万能、自分が法律だったのです。誰も反対できません。反対すれば殺されてしまいます。
部下や民衆は、「王様は、そうおっしゃいますが、この本には間違いだと書いてあります」と、注意するわけです。すると彼らは、 「私の言うことと違うことが書かれた本は、デタラメ本である。そんな本は燃やしてしまえ」ということで、焚書が始まるのです。いわば言論統制ですね。 「書物に記載してあることがデタラメと証明した者には、褒美を出す」となったのです。

 

治療所の風景

 
日本では、事故の記録が公になっていません。中国で鍼灸治療をするのは、入院施設があるような公共の病院です。事故をデータとしてとっておけるのですが、日本の場合は個人でやっている鍼灸院がほとんどです。そのため事故が起きたとしても公にはなかなか出てきません。
 
中国では、事故を起こした人間は責任をとることが求められ、詳細に記録されました。そこで1980年頃から次々と刺鍼事故に関する書籍が発表され、鍼灸師は断層写真を見て、どの方向へ刺入したら内臓に刺さらないかを研究するようになりました。
 
 北京堂式を創成した淺野周は、まず刺鍼事故をなくさなければ、どんなに効果があっても鍼が民間に受け入れられないのではなかろうかと考え、そうした書籍を翻訳して、1990年代に『TAO』という鍼灸雑誌で発表しました。
 当時は、「鍼は、まず医療事故を起こさないことが大切だ」という考えが一般的ではありませんでした。だから、どの方向へ刺すと危険なのか、などの教育はありませんでした。そこで淺野氏は、自分の所有する十冊ほどの刺鍼事故本から一冊を選び、翻訳して製本し、最初の弟子に与えたのでした。それが2006年に三和書籍から出版された『刺鍼事故(処置と予防)』です。 その刺鍼事故(処置と予防)と断層解剖書をテキストにし、刺鍼事故の恐ろしさを教え、何故事故が起きたのかを解剖書によって解説し、どうやったら安全で効果のある鍼を刺せるかという方法を弟子に教えました。
 それが北京堂式です。

 

しっかりとコミュニケーション
古典鍼灸では、鍼穴と灸穴、そしてマッサージ穴が分かれていました。これはどいうことかというと、鍼の穴といのは、鍼をしても内臓を損傷しにくい穴ですし、灸の穴は内臓に近いところにあったりなど、そういう理由で分けられている部分もあります。現在の学校では、すべて同じ経穴として習いますので、きっちりとした使い分けができていないこともあるのです。
 そこで浅野氏は、解剖に基づいて、内臓に当たらないで筋肉だけに刺入できる鍼の方向を考案しました。
 最も刺鍼事故が起きやすいのは胸部です。その理由は、肺と心臓は重要な臓器でありながら、動かなければならないため硬い膜で保護されていません。心臓は範囲が小さいので狙わないと刺せませんが、肺はテニスコート一面の内部面積があるため、身体で占めている位置も大きいのです。だから肺は意識して避けないと刺さってしまいます。刺さったら胸や背中が痛くなりますが、レントゲンを撮れば肺が萎んでいるのが見えます。
 
だから北京堂式では、まず肺を刺さないために、例えば背中でも肋間部分は刺さない、肩井は上腕骨頭へ向けて刺す、あるいは筋肉を摘んで前に刺す、背中には背骨に当てるというように決まっています。背骨に当たれば肺に入りません。
 
 こうして北京堂式は、刺鍼事故を起こさないことが中心になります。
 


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